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『タコ足SNS配線』

SNS——ネットワークサービスなるものが浸透した暮らしは、いつの間にか世間にすっかり定着している。私が初めてiPhoneを購入してから今年でちょうど10年。FacebookとLINEに登録したのが確かその時期で、これが初めてのSNS参加だった。その後もTwitterやIns...

『おばんざい』

現代社会では、どうしても野菜の摂取量が少ない傾向にあるように思う。スーパーの野菜コーナーへ目を向けると多種多様な野菜が規則正しく陳列されているが、果たして季節ごとの旬の野菜などをどれだけ正確に知っているだろうか、と自問自答したくなる。物価の上昇対策や作品制作のための時間確保...

『ギャラリー巡り』

烏丸に去年開廊したばかりのタカ・イシイギャラリー京都にて開催されていた、ジャデ・ファドジュティミさんの個展を見てきた。久しぶりに誰かの展覧会に足を運んだが、地下鉄四条駅から階段を上って地上へ出た時の空気感が、いつの間にか春のしっとりした水気を含んだものになっていた。身体の水...

『続編』

『ねずみくんのチョッキ』。全国学校図書館協議会選定図書と記されているだけあって、きっと誰もが知っているお話だろう。1974年に第一刷が刊行され、2020年時点で五十回以上も重版となっている。絵柄と物語の流れは手元に本が無くても細部まで鮮明に思い出せるほどだ。...

『寄り道のお土産』

自宅からアトリエへ向かう方法を電車に変更してから2ヶ月が経った。マンションの階段を下り、一方通行の道路に出て、通勤ラッシュで忙しく排気ガスを吐き出しながら走る車に注意して駅へと向かう。緩やかな上り坂は急勾配の坂より分かりづらい疲労感を蓄積させる。この地域に居を構えて数年経過...

『桜鑑賞会』

淀の河津桜が満開を迎えた。 二月の中旬頃からぽつぽつと花びらは開き始めていたが、この時期は突き刺すような冷たい風がまだ活発に吹いていて、散策する私はというと身を守る分厚いコートとマフラーが手放せない状態だった。 早咲き桜と呼ばれ寒さと隣り合わせの華やかな見世物として、生を受...

『食の形式』

和食の基本的な形式として「一汁三菜」という言葉をよく聞く。文字通り、主食のお米に汁物一品、主菜一品、副菜二品で構成される。 私の中で一番古い映像と化している一汁三菜は、祖母のあーちゃん宅でお馴染みのあじごはん、畑で採れた冬瓜入りの味噌汁、肉屋さんで購入したとっておきのお肉を...

『エッセイお休みのお知らせ』

いつもエッセイを読みにきてくださりありがとうございます。3月の個展に向けて、しばらくの間更新をお休みします。 今までにないくらい制作が差し迫ってる状況……。描く事と書くことの両立の難しさを痛感しています。またいろんなお話を投稿できるよう、ネタ集めは続けていく予定です。...

『ストローク観察』

大勢の人が行き交う場所での定点観測。大学での仕事帰り、久々に京都駅の烏丸口から八条口へ縦断するルートを歩いた。天井が高く開放的な空間のはずなのに、何かの弾みで誰かの肩や腕が当たったり、内緒話が漏れ伝わってくるほどの至近距離ですれ違う瞬間に幾度となく遭遇した。...

『神社の日常〜七五三〜』

亀戸天神社へお参りした時のこと。ちょうど七五三の時期で、着物やスーツでめかし込んだ子ども達が歩いている場面を沢山見かけた。東京駅から程近くスカイツリーも視界に大きく入り込むくらいの観光地真っ只中に位置しながら、あたりは閑散としていた。大通りから一歩入り込み、住宅街に守られた...

『文学と絵画』

東京流通センターにて、11月11日限定で開催していた文学フリマへお出かけした。モノレールの駅から降りてすぐ目の前に道標の看板が設置され、其処で一旦立ち止まって写真を撮る人、直角に方向転換し目的地へと吸い込まれていく人と二極に分かれた流れができていた。曇天の土曜日のお昼過ぎ、...

『すこし・ふしぎ な思い出』

「Science Fiction」をSFと省略して表現するが、単語の「SF」との出会いは、ドラえもんの原作者で知られる藤子・F・不二雄さんが提唱したSF「すこし・ふしぎ」の方が先だった。ひらがな、カタカナ、漢字と来て、ローマ字、アルファベットを学ぶようになった頃に出会った概...

『一休みの領域』

アコースティックギターをアトリエに持ち込んでいる。 細切れに練習するようになってそれなりに経過するのだが、あいにくの上達具合でとても人様の前で演奏できるレベルではない。メープルの木がヘッドにデザインされている(おそらくカナダ製の)貰い物のギター、今ではすっかり油絵具の匂いが...

『生きる時間』

京都市動物園は岡崎通と二条通が交わる地点に位置し、近くには京都市京セラ美術館、京都国立近代美術館、平安神宮、南禅寺などがある。いくつもの市バスの経路にもなっていて、人々の流動が活発で都会と括られる地域。交差点のすぐ目の前にある正面エントランスをくぐると、門の外とは異なる種類...

『たんぽぽ』

季節とちぐはぐでありながら、この時期になると思い出す『たんぽぽ』の歌。小学校時代の合唱曲の一つだが、当時の私はリズムよりもこの曲の歌詞に惹きつけられていた。 今、珈琲を片手に虫食いだらけの記憶を辿っていく。ピアノ伴奏ではなくCD音源の前奏で、始まりの歌詞が『雪の下の、ふるさ...

『言葉の真意』

大学院進学に伴い京都に拠点を移した時、古き良き都の言い回しやおもてなしの意味に気をつけよ、との忠告をいろいろな人から餞別として受け取った。ぶぶ漬け、ピアノの音、良い時計、元気な人……何の変哲もない、日常の中で見かける物や一コマを使った言葉表現に隠された批判や嫌味を京都暮らし...

『国語教育』

国語のテストで必ずと言って良いほど出てくる問題で、筆者や登場人物の気持ちを記述するものがあったが、こうした問いに白黒はっきりした答えが用意されていたことに疑問を禁じ得なかった。 文章を綴るとき、本当にその気持ち一つだけでつらつらと言葉を並べられるものだろうか。...

『季節の売り子さん』

季節を使った隠喩表現に、アダルトな意味合いが込められる。身体で性的快楽のサービスを提供し、対価として金品を受け取る事を指す「売春」が、古代から現在まで連綿と続く概念なのは周知の事実。一般的に娼婦と呼ばれるが、日本史や世界史を紐解くと、白拍子、遊女、クルチザン……など様々な呼...

『大丈夫』

‘大丈夫’は、どんな状況を踏まえた言葉だろうか。 相手から「大丈夫?」と尋ねられた時、鸚鵡返しのように「大丈夫」と答える事が多い。それでも何がどう‘大丈夫’なのか、ちゃんと分かって発しているだろうか。 丸一日、よく耳をすましてみた。すると周りの至る所で「だいじょうぶ」の五音...

『自我の素』

三つ子の魂百まで——。幼少期の性格は年をとっても変わらないという意味の諺。人間はおよそ1~2歳の頃に自我を認知し、3歳には確立させる。 自我、どちらも自分を指す漢字が充てがわれる言葉だ。当然自分自身のもの。でも全てが本当に一人だけで育んだものだろうか。...

エッセイ: Blog2
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