最近夕方になると、途端に天気が崩れて夕立になることが多い。いや「夕立」よりも「ゲリラ豪雨」と称される事が多いように思う。
朝方、突き刺す日差しから身を守るために生活必需品となりつつある日傘を差してアトリエへ向かっているが、その時の空は真っ青と真っ白の二色刷り。暑いというより痛い程の直射日光とコンクリートからの反射光に挟まれながら歩いていく。
アトリエに閉じこもって制作していると外の変化に気づかない。この時期は夏休みということもあり、小中学生が登下校する話し声もなく、ただひたすら通りを走る車の排気ガスとタイヤの転がる音がずっと響いている。お昼が過ぎ、一番暑さの厳しい時間帯も過ぎ、少し日が傾きかけたところで先ほどとは違う音が空から聞こえてくる。やがて明度と彩度が一気に下がり、たがが外れたように大粒の雨と雷が降り注ぐ。流石にここまで急激な空の変化には否が応でも対応しなければならない。換気で開けていた窓と外階段に通じる扉を閉めて雨が入り込まないようにする。稲妻の筋が見えたら音が聞こえるまでの時間を数える。先日は一秒と経たずにごろごろごろと雷鳴が轟き、一瞬アトリエの電気が停電した。近くに落ちたのだろう。
(幸いすぐに復旧したが、本格的にハイデンバンの電気系統はズタボロだと思われる。)
iPhoneのアプリから警報・注意報通知が届く時もある。夜帰る時間まで雷雨が長引いていたらどうしよう……。そんな心配がすっと心をよぎるタイミングで、にわかに雨の強さが落ち着き、晴れ間がちらほら見えてくる。狐の嫁入り。昔は珍しく感じた現象だが、大人になってからは毎年必ず目にするものに変わりつつある。晴れの間がどんどん広がり、雨空から再び晴天に様変わりする。ただし空気中に雨の名残りがあるおかげで、じめじめした湿度は昼間よりも深刻に感じる。
宇治の方角にある山は、まだ灰色の厚い雲の帽子を被らされている。時折感電したかのような光を発しているのを見逃さなかった。
「夕立」は夏の季語として俳句や短歌でも扱われるが、いつか「ゲリラ豪雨」に取って変わってしまうかもしれない。言葉が醸し出す余韻と、実際の天気現象に乖離を感じさせる空模様。
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