ただいま制作の資料探しのため、図書館で借りた万葉集の解説書を読んでいる。全二十巻、現存する最古の歌集として学校でも習った記憶がある。各巻それぞれ特徴が異なっているようで、ざっくりとした解説から特に興味を抱いたのは巻十三、十四巻。十三巻に収められている全ての作品は読み人知らずで、長歌とそれに伴った反歌の組み合わせが多い。(万葉集で有名どころな歌人の一人、柿本人麻呂の歌表現を模したものがある。)
十四巻は東歌がまとめられていて、国名別に分類した勘国歌と国名未詳の未勘国歌に分類されている。東国は『あづまのくに』と読み、平城京や平安京から見て信濃・遠江(現在の長野・静岡あたり)以遠の地域を指していた。歌の中に東国独自の方言も散りばめられていて、未だ解読されていない『かなるましづみ』や、何故・どうしてと訳す『あぜか』などが印象的だ。『のじ』は虹をさす。
どちらの巻もほとんどが恋愛に関して歌われている。なかなか会えない妻や夫へ手向けた歌、惚れ込んだ相手へ送る情熱的な恋文ならぬ恋歌など、当時の風習や各地域の自然風景の変化に例えて表現していて趣深い。三二七四首の長歌で『我が衣手を折り返し』とあり、これは袖を折って眠ると夢の中で思い人に会えるという考え方に基づいている。なんともロマンチックなおまじないですね。
また三四一五首・三五七六首での『小水葱』はミズアオイ科のコナギのことで、恋をした相手に言い寄る様を表現している。『小水葱』は人気のモチーフだったようで、こちらも他巻の作品で見つけることができるようだ。
そんな中でかなり異質で強烈な印象を放っていた歌が、三二七〇首の長歌とそれに付随する反歌だ。夫が他の女性のもとへ通うようになり、嫉妬に狂う妻の心情を歌っているのだが、訓み下し文で読んでも『さし焼かむ』『かき棄てむ』『うち折らむ』『醜の醜手』など強烈な言葉が並んでいる。ゾッとしつつ不覚にも笑ってしまった。此処まで開けっ広げに感情を表現した歌は見当たらない。なかなか貴重な作品である。
対して反歌では少し冷静になりしおらしくなった表現で、あなたをこんなにも愛するのは私の真心故、と歌っている。この起伏の激しさは現代でも共感する人は多いのでは?
いつの時代も嫉妬ほど人を狂わせるものは無く、恋愛に嫉妬の感情は常に付き纏うものなのだなあ、と納得させられた。
文庫本の解説書を読破するのにまだまだ時間がかかりそうだが、せっかくなので二十巻分読み切りたいなと思う梅雨時の一日。
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