『人生の半分を損している。』
このような表現の文章や会話に時たま遭遇することがある。よくある誇張表現の一つだが、いまいちピンとこない言葉だなあという印象が拭えない。最近見かけたものでは、「釣りを知らないのは人生の半分を損している。」という宣伝広告。目立つ場所に大きく貼られたポスターらしい役目を背負って、ここから’釣り’の娯楽を知ってもらおうとしているが、はたしてこの一言で興味を持つ人はどれだけいるのだろう。
残念ながら私は興味持ちませんでした。
『これを知らないなんて人生の半分損しているよ!』
『これ嫌いなんて人生の半分以上損してる。』
『これ食べないなんて人生の3分の1は損してるでしょ。』
「人生」に対するちょっとした割合の違いはあるものの、何かを知らない、苦手、興味ない、という時にこの言葉は出てくる。
いや、勝手に人生の彩りの内容を決められてもな……大きなお世話、というのが正直な感想。音に乗せて言葉にするのと、文字にして視覚的に訴えてくるのでも印象が変わってくるし、押し付けがましく感じるか、説得力を感じるか、何気ない日常会話として流れていくか、重要な転換のきっかけになるのかは受け取る人次第なわけで。
でもおそらく、発言する側も本気でそこまで大きなスケールで捉えていないのではないか?あくまで会話のキャッチボール、言葉遊びのような感覚で使っていて、相手を自分と同じもので染め上げようなんてこれっぽっちも考えていないような気もする。
「人生」・「損得」と重たいイメージを持つ単語を使っているが、テンプレート化しているおかげでカジュアルな、誰でも使える軽い表現となっていそうだ。案外、キャッチコピーとして巷に溢れている語句も重要なことを発しているようで、誰もが使っている言葉遊びの延長に過ぎないかもしれない。内容がインプットされなくても何処かで聞いたことあるな、と一種の懐かしさと「その表現もうお腹いっぱいです……。」と胃もたれにも似た感想を抱いている。
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