「大昔だったら改元して御代替わりしてるよね〜。」
今年2月に実家へ帰省したとき、弟がぽつりと呟いた一言。
『改元』とは、元号を変更し再び元年から始めること。2019年5月1日午前0時をもって、『平成』から『令和』へ元号が変わったことは記憶に新しい。
樋口ヒロユキさんの著書「真夜中の博物館」で伊勢神宮と皇統神話の章を読んだり、ハイデンバンメンバーの1人が伊勢の真珠産業の人と知り合いになって、現在の真珠業界の様子や真珠が出来上がるまでの過程のこと・皇室と‘伊勢’という地域の関わりやエピソードを聞いたりと、歴史物語のような遠い存在に感じていた日本の皇室が、少しだけ身近で話題になった。
祖父母の自宅には皇室の方々のカレンダーが飾ってあり、幼心にも近付き難い、畏怖の感情を抱いていた。時代はグローバルな科学社会に覆われても、皇室をはじめ諸外国の王族や貴族など、その国独自の高貴な方々への敬愛感情は、連綿と続いている。
……と思っていたのだが、最近気になる言葉を見かけた。
『令和になってから災いばかり。天皇は責任とるべき。』
この呟きに、数えきれないほどの共感が寄せられていた。ざっくり纏めると、ここ最近の自然災害や収束しない伝染病は、今上陛下・皇后陛下が即位したせいだという内容。
(ちょうど皇室のニュースがツイッターにトレンド入りしていたタイミングだった。)
開いた口が塞がらない……、本当にそんな状態になった。
そして冒頭の弟の一言を思い出した。確かに歴史上1年足らずで終了した元号もある。(最短では2ヶ月14日間の'暦仁'らしい。)
主な理由として災害、凶作、遷都、帝の崩御などが挙げられる。神秘性の強い祈りや宗教が重要視されていた時代なら、最高位に即く者に不満の矛先がゆくことは無理のない感情の流れかもしれない。
でも今は科学の時代ですよ?
西暦2021年ですよ?
家に篭りながら世界と繋がれるんですよ?
大戦後に「天皇人間宣言」が発せられたことは、日本史の授業で習った。この宣言が有効ならば、今の悪天候は‘誰のせいでもない’のでは?
当たり前なことだけど……。
誰かのせいにするのは簡単だ。でも悪者作りに固執すれば、進歩はそこで止まる。
物質だけ豊かになって、心が枯渇してしまうのは本末転倒。どんな立場の人でも、残酷な中傷の標的になる事に少なからずショックを感じたのです……。
「平成のときもやっぱり、皇室へのバッシングはあったみたいだよ。」
ハイデンバン共有リビングにて、珍しく時事の話題も絡んだひととき。
外は大粒の雨が降り注いでいた。
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