SNS——ネットワークサービスなるものが浸透した暮らしは、いつの間にか世間にすっかり定着している。私が初めてiPhoneを購入してから今年でちょうど10年。FacebookとLINEに登録したのが確かその時期で、これが初めてのSNS参加だった。その後もTwitterやInstagramなど誰もが知っている定番のSNSに興味を持ち、アカウントを作成してきた。スマホの中にありとあらゆるネットワークツールを繋げていて、イメージはタコ足配線状態だ。ただし、現在こまめに更新しているのはInstagramとシェア先のFacebookくらいで、X(旧Twitter)は去年の投稿以来おさぼり気味、pixivは登録だけで最近は開いてもいない。Threadsのフォローリクエストに関するお知らせが時々Instagramのタイムラインに届いたりするが、これまた面倒でスルーしている。
タコの足の中で、器用に使いこねせているのは2本くらい。(そのうちの1本も特に開く手間をかけずにシェアという便利な機能にお任せしている。)
どうもSNSとの付き合い方が億劫なようで、さまざまに発展しているお手軽SNSアプリがあっても途端に腰が重くなって結局始めずに今に至っている。今あるアカウントすらおざなりになっている状況で、新しいコンテンツをきちんと管理できる自信がない。
芸能人や有名な起業家に限らず、一般でもこまめに沢山のSNSを駆使して発信している人はいる。各ツールの特長や傾向を上手いこと利用して内容を推敲し投稿する。なんとなく世間の流行や好みを調査するマーケティング行為と似通っている気がする。同じ内容を発信するにしても、文体や扱う言葉の語彙が違っていたり、またSNSごとに相応しい投稿が違うかもしれない。InstagramにXやThreadsで見かける独り言の呟きみたいな文章だけ載せても読もうとは思わないし、pixivに畏まったお堅い時事ニュースの文章や写真が流れてきたら、何かのバグが起きたのかと大騒ぎになりそうだ。大袈裟な例えかもしれないがこんなに事細かく、多彩なSNSを把握して編集・推敲を重ねることを想像するとそんな労力を割く時間が私にはもはや残っていないのです……。それでもこんなに沢山のSNSが普及していることを考えると、器用にこれらを使いこなせている人々が大勢いるということだろうか。
ツールが発展すると共に、人間もSNSに特化した進化をしているのでは?とちょっと無理やり壮大な妄想を繰り広げて今日の文章は絞めようと思う。
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