生憎のご時世だが、外へ散歩に出かけて春の欠片を見つけることが楽しみになっている。
お馴染みの桂川には鶯、淀駅前には梅の木がある。
また淀水路には、伊豆の河津桜をルーツに持つ桜並木がある。(2002年に2本の苗木を貰ったらしい。今では300本以上もの桜が生長し、地域住民だけでなくこの桜目当てに淀まで訪れる観光客もいる。)
京都が寒いからか、ハイデンバンが底無しのおんぼろ建物だからか(言いたい放題である)、今回の冬はよくぞ乗り切った!という感覚が強い。日光を浴びて思い切り伸びをすると、冬眠から目覚めた動物達の気持ちがなんとなく分かる。
「天井裏にネズミかイタチがいる。」
暖かくなるとやってくる、‘ハイデンバン動物侵入問題’はもはや風物詩だ。
ところで、私はまだ此処で鶯を見たことがない。晴れた日の早朝から軽やかな鳴き声は耳に届くものの、その姿を拝見できていないのだ。
声は聞こえど姿は見えず……。
平安時代の片恋に悶え苦しむ貴族の片鱗を追体験しているよう。見えないからこそ興味が湧き、気になってしまう。‘秘密’というものは最高のスパイスなのかもしれない。
ホーホケキョ、ホーホケキョ……。
散歩中に再び聴こえた鳴き声。反射的にiPhoneカメラを構え何処だ何処だ??と視線を動かす。記憶の中の鶯は、薄い抹茶色の身体と嘴の一部がほんのり赤いアクセント。でも鶯にも色々なタイプがあるはず。人が一人一人全く違うように。淀の鶯はどんなものなのか。
結局この日も姿を見つける事ができなかった。
その代わり、音を撮影することができた。録音ではなく撮影ができた。鶯と、春風と、車のベルと、足音と。様々な音が溢れていた。
もちろん、春の景色も撮影に収めることができた。
河原に群生する植物は、背高のっぽになる法則でもあるのだろうか?春の菜の花を見て秋のススキを思い出した。
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