私は3人兄弟の一番上。同じ様な立場の人と長子ならではの大変なこと、不満に思うことなどを語り合って盛り上がる時がよくあるが、個人的には特をしているなあと感じる瞬間も多い。
私には2人のひいおばあちゃんとの記憶がある。
母方の祖母の母である曽祖母と、つかまり立ちを覚えたばかりのまん丸な赤ん坊の私が一緒に写っている写真が残っている。枚数は少ないものの、顔つきやちょっとした仕草が笑ってしまう程にそっくりで、親戚の中でも度々話題になっていた。そっくりエピソードとしては、うたた寝しているところに声をかけた時、私と祖母と曽祖母が同時に目を開けてむくりと起き上がって振り向いた——なんて事がよくあったそうだ。世代が離れていてもDNAの強さを証明している。
『……あんた誰やった??』
80歳を過ぎた頃から物忘れが多くなって、お盆やお正月期間で遊びに行くたびに、私が何者なのか尋ねてくるようになった。
『ばあちゃんのひ孫やよ。』
『あ~そうかい。おおきゅうなったなあ。』
ひいばあちゃんの記憶の中で、私はいつまでも小さな赤子のままだったのかもしれない。
もう一人は母方祖父のほうのひいおばあちゃん。こちらのひいばあちゃんは、おっとりしているようでものすごくテキパキしている。その昔地域一番のプレイボーイだった曽祖父(あくまで母からの情報)を射止めただけあって、行動力や周りへの配慮が細やか。
奥目が特徴で逆光になると目元が見えず、怒っているのか笑っているのか分かりづらいところが、幼心にちょっとだけ怖かったりした。強烈な思い出といえば、仏壇が置かれている座敷の真ん中で、幼い自分とひいばあちゃんが正座でお互いに向かい合っている場面。部屋には外からも薄く日差しが入ってきて、傍らにはお馴染みの象のぬいぐるみ。お昼過ぎのはずなのに、他に誰もいなかった。じーっと私を見つめるだけで、ひいばあちゃんは一言も発していなかった。何かいたずらがばれてお説教中の場面だったのかな?一瞬のようにも、かなりの長時間こうして座っていたようにも感じる。
「ひいばあちゃんはうろ覚えだなあ。」
「私全然知らんよ。」
当時弟は小学校低学年、その頃にはひいばあちゃん宅へ行くことも減っていて交流がほとんどなかった。妹は2歳になる前で、物心がつく前にお別れをすることになった。
一番上だったからこそ、ひいおばあちゃんとの思い出が残せた。ちなみに弟妹は、その思い出がない事にとくに悲観に暮れてはいないのだが、こっそり勝手に感傷的な気持ちを抱いた。
長子の特権かもしれない一例です。
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