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執筆者の写真ユウキ サクタ

『金銭感覚』

初めて‘お小遣い’をもらったのは、小学校1年生の頃。夏休み課題で制作したアイデア貯金箱(馴染みのある人はいるでしょうか?)の竹貯金箱を活用したくて、おねだりした記憶がある。

100円玉や10円玉をちゃりんと入れていき、貯金箱がどんどん重みを増していくのをわくわくと実感していた。

「すごい!こんなに貯まってた!」

4,5年生頃に地元の温水プールへ遊びに行くのにはまり、貯金箱を壊して中を確認したとき、大量の小銭が溢れてきて、

「20回以上プール行けるし、アイスクリームも買えるかも!」

プール利用料金でお金の価値を理解していた。


さて、あれからお金に関していろいろな経験を経た今。仕事の給与明細やバイトのお給料袋を見て真っ先に思うこと。

「今月これだけか。節約せなあかん……。」

おかしい。

竹貯金箱に詰め込まれていた金額よりも明らかに沢山のお金をもらっているのに、足りない、足らないと不満に思う事が増えた。

また100円玉どころでなく、1,000円札や10,000円札を一枚財布に入れているだけでは、満足できない感覚になっていた。大人になると急な出費は日常茶飯事。美術作家としての仕事柄、ふらりと立ち寄った本屋や画材屋で、気に入った物を衝動買いすることも多い。

(断じて無駄遣いではない。)


軽んじている訳ではないが、竹の中から飛び出した100円玉を見ていた幼少期と、今の100円玉を捉える視点は有り難みの度合いが違っている気がする。

時代の値上がりはもちろん、自分自身が画材を含めた高価な物を求めていたり、大人が負うべき社会的義務や生活基盤の支出も担っていくと、どうしても必要な金額は増えていく。きっとこれからも桁が増加する一方で、減る事はないだろう。いつか一枚の10,000円札すらも重みや有り難みを感じなくなってしまうのだろうか?

お金に執着する余り、金銭を蔑ろにしては本末転倒。

幼い時代の感覚に改めて学んだ教訓である。


夕立が止んだ水溜まりだらけの道端に10,000円札が落ちている。さて、落とし主はこれを血眼になって探しているか、それとも「まあいいや、たった10,000円だし。」と気にも留めず既に忘れているか。そっと見守る事にしよう。


お金の行方はその人の金銭感覚に委ねられている。




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