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  • 執筆者の写真ユウキ サクタ

『選択した先の答え』

パラレルワールドという概念がお気に入りです。

「もしもこうだったらどうなっていただろう?」と通り過ぎてしまった過去を振り返るきっかけになる思考回路。後悔でもなく安堵でもない、ただなんとなく此処とは違う世界線があったとしたら、自分はどんな風に生きていただろう、と漠然とした空想に浸る時間がある。

油彩画を描きながらこんなことを思う。

「小さな頃から偏見なんて気にしない図太い神経だったら……。」


空手の有段者だった父親から、実は幼少期から小学生にかけて空手の手ほどきを受けていた。我ながら筋は良かったようで基本的な生拳、裏拳、回し蹴りや前蹴り、組み手などを夢中で覚えていた。スポーツを楽しむ原点はおそらく此処だった。

「女の子なのに変なの。」

ただ実家のある地域は、昔ながらの保守的な固定観念が強い印象だった。(男は逞しく、女は半歩下がって慎ましくといったもの。)さらに輪をかけるように、悪気なく自分の感覚をストレートに放つ子が周りに多かったように思う。また偶然にも同じ名前の男の子が何人かいて、学校の先生すら名前の第一印象だけで私も男の子であると勘違いしていた。そんな折、外で父親から空手を習っている姿をクラスメイトに偶然見られたことがある。

「殴ったり蹴ったりするの好きなんだ。髪も短いしほんとは男子なんじゃない?」

「空手やってるのになんで学校にスカート履いてくるの?」

今のメンタルだったら笑って受け流すか、きつく言い負かして反撃できたかもしれない。でも当時は誰かの視線を気にする脆弱な思考の持ち主で、悪く言えば従順で流されやすい子どもだった。たいして仲良くもなかったあの子達の一言を、何故心に留めてしまったのか。以降だんだんと空手を教えてもらう事に苦痛を感じるようになり、いつのまにか果てしなく距離ができてしまった。

もしもそんな一言に惑わされずに続けていたら、もう少しスレンダーで健康的な体格になっていたかもしてれない。ひょっとしたら武者修行と称して、世界中をバックパッカーとして飛び回っていたかもしれない。そうしたら世界中の言語を習得する機会に恵まれていたかもしれない。


もしも……と仮選択の過去を思い返す度少し寂しい気持ちになるのも事実だが、同時に、たとえあの時どんな選択をしたとしても行き着く先の時間軸で、私は絵具まみれになって懲りずに絵を描き続けてるだろう、という確信に満ちた答えをパレット上で絵具を混色しながら勝手に導き出している。




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