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執筆者の写真ユウキ サクタ

『言葉の真意』

大学院進学に伴い京都に拠点を移した時、古き良き都の言い回しやおもてなしの意味に気をつけよ、との忠告をいろいろな人から餞別として受け取った。ぶぶ漬け、ピアノの音、良い時計、元気な人……何の変哲もない、日常の中で見かける物や一コマを使った言葉表現に隠された批判や嫌味を京都暮らしの予備知識として教え込まれた。郷に入っては郷に従え、の諺に倣い一応一通りの言葉を覚えておいた。まるで受験勉強のような義務感で記憶にインプットしていった。

音として物理的に交わされる会話と発信者が相手に真に伝えたい意味合いがかなりずれているにも関わらず、今日『京言葉』として共通認識されているのはこの地で培われた人と人の関わり方や社会性が堅牢になった証だろうか。ぶぶ漬けを提供されて「長居して嫌がられてる。もう帰らなくては!」という思考回路に真っ先に辿り着き、すぐさま行動できるのは『ぶぶ漬け=帰ってほしい』の方程式が多くの人々に『言葉』として定着しているからであり、『察する』文化の原点を垣間見たような気がする。

情報社会の賜物で、京都人でなくても私のようにある程度の『京言葉』とされる表現は知ることができるが、それは暮らしの中で自然に身につけたものというより、漢字や英単語を習うのと同じ知識の欠片でしかなく実体性に乏しい。受け取った情報が全て正しいとは限らず、また網羅されているわけではない。此処まで京言葉の負なイメージを語ってきたが、もちろん優しい言葉表現だってある。「おはようおかえり」は「早く帰ってきてね。」の意味。朝、家族を送り出す時に伝える一言で一日のルーティーンに組み込みやすい言葉だ。人に何かを頼む時の「~しておくれやす」こちらは言い回し等ではないが、濁点がついていない事で、音として柔らかい印象になる。柔らかい、という評が『京言葉』に対して個人的にしっくりくる感想だ。幾重にも纏って本音を隠した言い回しも、それが功を成して優しい響きに聞こえてくる。(本音を知った後の戸惑いや落差はもちろんあるわけだが、表に出て来なければ見かけの上では平穏な暮らしになるわけだ。良し悪しは一旦置いて、その地その社会で生きる上では重要な要素なのかもしれない。)


ちなみに実際にこれら遠回しで批判的な『京言葉』に出くわす事なく現在に至り、平穏無事に毎日を過ごせている。(私の周りに生粋の京都出身者が少ないというのも一理あるかもしれないが)餞別は取り越し苦労だったようだ。




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