『蛍雪の功』
- ユウキ サクタ
- 2020年9月10日
- 読了時間: 2分
ハイデンバンが停電した。
8月終わりのこと。過剰な電力使用によりアトリエのヒューズが飛んでしまったようで、クーラーや洗濯機はもちろん部屋の蛍光灯すら点かない状況に。
「業者の人に来てもらわなあかんな……。それまで辛抱やね。」
「いつ来てもらえますか?」
「火曜日。」
「火曜日?!」
「電気屋さん閉まってたから。」
というわけで、2晩ほど電気のない暗闇の中での生活を送ることになった。もうすぐ9月に入るのに熱帯夜はまだまだ続く。生温かい空気が充満する部屋の中で、iPhoneのライトやPCのデスクトップの光を頼りに闇鍋ならぬ闇晩ご飯を済ませ、エッセイを書くことにした。
LEDだろうか?とにかく眩しい。
『暗いところで小さい電気だけだと目が悪くなるよ』と幼少期によく言われたが、本当に視界が眩んできそうだ。
……この状況、故事成語であったような?
夏は蛍の光で勉強し、冬は雪の光で勉強する。天然の淡い光は風情があるだろう。でも昼間ほどの明かりは期待できなかっただろうな。その中で黙々と勉学に励み、今に受け継がれてる言葉の源になった車胤と孫康の生き方は心に響いてくる。
夜でも煌々と眩い光があふれる現代。学ぶための快適な環境は昔よりも格段にととのっている。停電中のハイデンバン内も、iPhoneにPCに外からの街灯にと完全な暗闇ではなかった。なんなら文庫本だって読めるほどに。
ところで…自分が選んだアート分野を、今必死に学んでいるだろうか?
便利さに胡座をかいてぐうたらしていなかったかい?
京都市内では蛍が見られるスポットがある。以前住んでいたアパート近くの河原は秘密のスポットだった。
冬は生粋の道産子が「京都の方が寒い!」というほど冷え込む。雪だって降るし積もる。
蛍や雪に続いて、LEDも何かしらの功に繋がっている…!ただそれを自分の中に取り入れられるかは自分次第。
美術史の本を開き、学び直しを始めた。

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