『良い絵の定義』
- ユウキ サクタ
- 2023年4月14日
- 読了時間: 2分
先日、京都のギャラリーで開催中の友人の個展に行ってきた。全国的に日差しが眩しく暖かい土曜日だったため、どの散歩道を選んでもいろいろな人とすれ違った。ギャラリー会場も緩やかに人と春の空気が循環していて、新しい環境リズムの音色を感じるような出会いや会話がぽこぽこ育まれていた。
「大学で非常勤講師の仕事してますが、まず最初に教えるのは受験の絵から抜け出させる事ですね。」
たまたまお会いした作家さんと個展中の友人と三人でしばし近況を語り合ったのだが、その中で受験絵画とアートを取り巻く感覚の乖離が話題に上がった。
「受験の時ってちゃんとした絵、きちっとしたデッサンとか基準がありますよね?良い絵ってそれだけじゃないんだよっていうのを示してあげる所からスタートするんです。一回生担当なので毎年おんなじです。」
そう、美大に入学してからの一番の戸惑いは、受験を突破するために必死に培ってきたデッサン技術やモチーフの捉え方、色彩構成、空間意識をリセットさせ、独自のスタイルを模索していくことだった。卒業制作に追われる四回生の頃には各自の表現が千差万別となり、具象・抽象の絵画、木材や廃材を拾ってインスタレーション作品を展開する人、油彩画でアニメのようなキャラクターをモチーフで描く人、人形を一から制作しそのドレスもデザインする人や、小説を書いている人もいた。全員油絵専攻の学生だった。門を通過してしまえばさほど重要視されない『受験絵画』要素を、どうして人生を左右する課題に利用しているのか理解できなかった。これは未だ分からないねじれの法則。
かく言う私も、新年度から京都市立芸大油画の非常勤講師を務めることとなり、かつて自分が感じたジレンマをこれから学生達に伝えていくと思うと、果たしてこれは正なのか負の連鎖なのか……頭の中がぐにゃりと歪なスパイラル形態と化す。
教える側もこうした葛藤を抱えて講義を担当していく。ある意味両方の立場を経験できる、またとない機会とも言える。
‘先生’の視点から見る美大は、どんな制作環境だろうか。

Comments