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執筆者の写真ユウキ サクタ

『真逆の欲求』

ただいま作品制作が切羽詰まっている。有難いことに複数の展覧会を控えている今、未完成の作品に向き合い、ああでもないこうでもないとやり取りを続ける毎日だ。

さて、私は制作中のBGMとしてSpotifyで音楽を流している。好きな曲だったりアプリがおすすめしてくれた曲だったり、アトリエに響く音楽は心のスイッチを描くモードに切り換えてくれる。

が、極々たまにこれらの音楽を一切合切聴きたくない心情に駆られる。嫌いになったわけではない、飽きたわけでもない。(むしろ大好きな曲ばかりだ!)理屈など無くただ聴きたくなくなるのだ。音楽だけではなく、普段気にもならない車の騒音や風で軋む窓の音など些細な生活音ですらシャットアウトしたくなり、最終手段として耳栓をつけて作業を進めている。

——あの曲を聴きたい。リズムが恋しい。

——何も聴きたくない。無音が恋しい。

この相反する欲求は何故芽生えるのだろう?気まぐれな自分の欲求に疑問が湧いてくるが、「それよりも作品完成が先!」となり、未だ答えが見つからない。


一つの作品を制作する際も、ある日はひたすら音楽を流し続け、また別の日は何も設定せず無音のままでいたり……。作品によって求める制作環境が決まっているわけでもなさそうだ。

ちなみに愛用している耳栓は百均で買った柔らかいタイプのもの。完璧な遮音性ではなく、トラックの走行音や電動ノコギリのような大音量はばっちり耳に入ってくる。それでも喧騒はかなりシャットアウトされる。普段どれだけの音が溢れかえっているのか改めて実感する。

音楽を聴いていても、その曲の世界観やリズム感が完成した作品と関連しているわけでもない。音楽が果たしている役割は何だろう?そして無音の世界が果たしている役割は何だろう?学生時代から制作のお供として音楽があった。周りの友人もイヤホンを装着している人が多かったように思う。そして少数だが耳栓を付けてる人もいた。

どちらにも言えるのは、その環境を欲している時は素直に欲求を満たしてあげる事。アプローチは違っていても、ちゃんと作品の構築に入り込んで集中できる。

いつか、我儘なこの欲求の謎をじっくり考えたいな、と絵具だらけになりながら心に刻んでおく。






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