ガルシア・マルケスの代表作、『百年の孤独』のクライマックスの場面で、一番印象的な文章がある。
「この百年、愛によって生を授かった者はこれが初めて』
おや?アウレリャノ・ブエンディア大佐は食事も喉を通らなくなるほどに、レメディオスを愛してはいなかったか?
ホセ・アルカディオは狂おしいほど情熱的にピラル・テルネラに恋焦がれていなかったか?
レナータ・レメディオスとマウリシオの悲恋は、痛々しく切ない結末だったが次世代への系譜を繋いでいたはずだが。
挙げればきりが無いほどに、このお話は様々な愛情の形が書かれていると感じる。ただしオーソドックスなものではなく、どの愛も歪で奇妙な形態と明度・彩度の低い色合いに設定されている。
かなり厚みのあるこの長編小説、初めて手にとった時は読破するまでに半年もかかった。その後も何度か読み返すたびに、見落としていた言葉や情景に気づいたり、登場人物たちの心境の変化を細かく解釈して毎回違った感想を抱いたりと、とにかく脳内が忙しくなる。
巻頭にはウルスラ・イグアランとホセ・アルカディオ・ブエンディアを始祖とする家系図が記されている。作中で同じ名前が数世代に渡って引き継がれていて、「このアウレリャノはどのアウレリャノだ?」と混乱することが多い。(作者の狙い通りかもしれない。)マジック・リアリズムの手法で綴られた世界観は、しれっと魔法の絨毯や宙に浮かぶ神父、齢百歳をはるかに超える人間や幽霊が登場するにも関わらず、違和感無く読み進めていた。だが一度気づくと、舞台となっているマコンド村が蜃気楼のように輪郭線が朧げとなり、ファンタジーの印象が強くなる。感覚のどんでん返しが発生する。村の隆盛やパーティーの様子、汽車の開通や戦争、自然環境の猛威がこれでもかというほど克明に描写されていて、ノンフィクションのドキュメンタリー映画のような緊迫感、これらの融合が絶妙な匙加減なのだ。
「百年」という時間の中でどれだけの人が喜怒哀楽を放って生きているのか。果てしなくもあり、あっという間のようにも捉えられて、物語に入り込んでいる時の感傷的な気分にぴったりくる言葉が見つからない。
『百年の孤独』を読んでいるときにだけ抱く、特別な感覚です。
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