『母語が死語になる時』
- ユウキ サクタ
- 2023年5月28日
- 読了時間: 2分
‘死語’とは、過去に使われていたが時代の変遷につれて使用されなくなってしまった言葉のこと。もう一つは、かつて使用されていたものの話者がいなくなった事で全く通じなくなった言語そのものを指す場合もある。
後者は世界規模で起きている状況だ。
去年、南アメリカに位置する国パタゴニアで唯一ヤーガン語を母語とするヤーガン族の女性が死去したというニュースがたまたま耳に流れてきた。つまりヤーガン語を理解し、日常的に話すことのできる人が地上から姿を消した。ヤーガン語が‘死語’となった瞬間だった。
このエッセイを綴るまでそのニュースの内容をすっかり忘れていて、朧げに覚えていたキーワードを頼りにBBCやロイターニュースを振り返ってようやく見つけたのだ。太平洋を隔てた日本から見れば、その言語が消滅した事で受ける影響は思い当たらない。現にヤーガン語が存在していたことすら日々の喧騒に掻き消されて私の中に残っておらず、そのまま平凡に自分の日常を過ごしていた。
——もしも、自分が日本語話者の最後の一人となったら?
おそらくその未来を察した段階で、事前に他者と意思疎通を図るために他言語を習得するだろう。自分の子孫がいたとして、生きていくために大勢の人が使用する言語を母語として選択するかもしれない。ヤーガン族最後の女性にも孫や曾孫がいたが、彼らの母語は違う言語だったそうだ。
当たり前に自分と同じ母語を知る他人がいること、これは文化の側面だけでなく思想や世界の捉え方、個々の人格形成にも影響を与えあっているかもしれない。母語は最初に形作られるアイデンティティの一つになる。それが自分を最後に永遠に途切れてしまう、そんな‘もしも’を想像し、定められた変えられない未来の流れに薄ら寒い孤独感を抱く。もちろんヤーガン語の母語話者だったあの人の思想や気持ちを完璧に理解することは、今までもこれからも永遠にできないのだが。
ヤーガン語だけに留まらず、世界中で消滅の危機に陥っている言語は2,000以上。方言も一言語として数えると、日本国内でも危惧されている言語がある。アイヌ語、八重山語、与那国語、奄美語、沖縄語など。(文化庁ホームページにて紹介されていた。)
私自身も奄美大島に僅かなルーツを持つ身だが、一度もその地に降り立った事もなく奄美語の一言すら知らない。今更奄美語を母語にする事はできないが、どれほど標準的な日本語と違うのだろう?
あまり意識しなかった物事も明日は我が身として想像すると、途端に緊迫感漂うリアリティが生み出される。

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