京都で暮らすようになって早3年、ただいま4年目を更新中。引っ越し当初は「京都の観光地いっぱい行くぞー!」と張り切っていた。
清水寺、八坂神社、東寺、仁和寺、三十三間堂、京都市動物園、京都水族館、鉄道博物館、京都市京セラ美術館、京都国立博物館、京都国立近代美術館、京都府立植物園、平等院鳳凰堂、源氏物語ミュージアム――。全て京都に移住して間もない期間で訪れた場所だ。美術館・博物館に関してはその後何度も足を運んでいるが、お寺や神社はここのところ遠のいている気がする。朧げになりつつも、一番印象に残っているのは東山区にある智積院。
安土・桃山時代に活躍した絵師、長谷川等伯・長谷川久蔵親子の国宝障壁画『楓図』,『桜図』が宝物館にて所蔵されている。大学院の日本美術史演習授業でも、その制作背景や時代の流れなどを細かく取り扱っていて、歴史的にも貴重な作品の一つ。この授業で実際に初めて『楓図』と『桜図』を鑑賞した。それぞれ特徴が異なり、最初に描かれた久蔵の『桜図』は画面の中心に二本の桜の木が凛と立ち、辺り一面に桜の花々や枝が溢れ、四季の最も華やかな一瞬がどこまでも広がるような印象だった。
後に描かれた等伯の『楓図』は楓の木が画面を貫くように描かれ、秋草や楓の葉がたくさん写実的に描かれている。また『桜図』よりも幹の描き込みが激しく大胆なのが強烈。また、どちらも抽象的な空間の区切りや構築も表現していて、絶妙に臨場感と別世界を同時に感じさせる。
「この障壁画を描いてから久蔵は若くして亡くなります。その後父の等伯によって『楓図』が描かれました。」
解説の中でもこの一言は、特に覚えている。それまで明るい陽気な印象だった桜が、がらりと儚く健気な姿に見えてきた。ダイナミックな楓の中に、言葉にならない深い悲しみを封じ込めた等伯の姿を思い浮かべた。
さらに見つめていくと、どちらも少しずつ図像が歪んだりずれたりしているのが気になった。
「経年劣化や戦争や盗難などで、完成当時と絵画の様子は変わっているでしょうね。」
等伯や久蔵、そしてこの障壁画の完成を間近で見ていた当時の人々と、今私達が国宝として鑑賞している障壁画、同じものでありながら違った印象を放っていたのかもしれない。時間の長さを、色彩の有限性を、広くて閉じられたこの空間でようやく自覚したのでした。
作者の筆が離れた瞬間から、作品は一人歩きしていく。等伯や久蔵がどんな思いを込めて描いたのか、完璧に分かることはできない。私が感じたことと同じ感想を他人が絶対抱くとも限らない。100年後ではまた違った形態に変貌していて、解釈や評価が変化しているかもしれない。
‘作者の意図しない完成形’は、今後も果てしない時間と歴史で作られていく。
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