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  • 執筆者の写真ユウキ サクタ

『恐怖心と高揚感』

単体では何も感じさせないのに、無数に集まることで異様な心理的影響を及ぼすものがある。


足元が賑やかになる季節がやってきました。

自然が生い茂る森に行かずとも、近所の公園、街路樹や庭先の小さな木々さえも、着飾っては落とし着飾っては落としを繰り返し、地面いっぱいにカラフルな葉っぱの螺鈿模様が描かれる。スニーカーでその模様を蹴散らしてみると、シャオ……シャカッと枯葉の細胞が音をたてて壊れ、やがて土に帰っていく。暗めなトーンの地面に赤・黄・茶色系統の葉はよく映える。細やかな枝に掴まって、ちくちくする肌寒さとじんわり暖かい空気の中でめいっぱい日光を浴びている葉もお気に入りなのだが、地面というキャンバスにコラージュされた葉により強く視覚のアンテナが反応する。じーっと見ていると一葉一葉が少しずつ違っていて、踏まれて少し薄汚れてしまったものや、一部が欠けて葉脈の主脈だけになり骸骨のような風貌になっているものなど多彩だ。やがてそれらがザワザワと動き出し、ジワジワとこちらに迫ってきて、視界を覆い尽くし息を止めにかかってくる——。

という場面まで妄想して現実世界へ戻ってくる。視点を低くして落葉樹にもたれながら、地面の螺鈿図を鑑賞するとすんなり妄想モードに入れるのでお勧めです。

この感覚は、水玉模様やストライプ柄を眺めるひとときに似ている。距離感を詰められている訳でもないのに、追い立てられるように息が短く切れてくる。小さな恐怖心を疑似体験しているかのよう。

細かなものが集まった集合体、主に小さな穴や球形状の集合した画像や物体に対し、恐怖や嫌悪感を抱く『集合体恐怖症』なるものが存在する。昔ながらの浴室や銭湯の床に敷き詰められている黒っぽい石、あれがぞわぞわっと感じる人はその気配があるそうだ。

何か一定のものに対し恐怖心を抱くのは珍しいことではなく、他人から見れば些細なものでも当人にとっては一大事だったりする。


ここで疑問点が一つ。地面に浮き上がった天然の落ち葉螺鈿模様を眺める時、私は嫌悪感など微塵も感じない。時間の許す限り、ずっと観察していたい願望が溢れてくる。

‘恐怖心’は、わくわくどきどきといった‘高揚感’と紙一重なのかもしれない。








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