思いがけず幸運が舞い降りてくる状況を、「棚からぼたもち」という諺で表現する。幼い頃は小豆が苦手で、それをふんだんに使ったぼた餅を幸運に見立てている諺に全く共感できなかった。月日の経過とともにいつの間にか小豆も食べられるようになり、今や大好物の一つになっている和菓子だが、ちょっと調べてみると「ぼたもち」で表現される諺は数多くあり、昔から馴染み深い存在だったんだなあと改めて認識した。
振り返ってみると、私以外の家族は弟妹含めぼたもちを昔から美味しそうに食べていたし、年の瀬やお祝い事の時期に親戚から届いたり、祖父母宅の仏壇にお供えされているのを目撃したり、かなりの頻度で記憶の中に登場していた。
じゃあなんで苦手だったのだろう?
ぼたもちだけでなく、あんぱん、お汁粉、あんころ餅、お赤飯、あんみつ、饅頭など、とにかく小豆が入った料理は避けていた。慶事でいただくような料理でもあるのに、なんとも罰当たりな好き嫌いをしていたと思う。苦手になったきっかけを記憶の抽斗から探しているものの、散らかり過ぎてて欠片すら見つからない。本当は子供の頃からちゃんと好物だったのか?
「えー!お姉ちゃんも餡子食べるようになったの?」
餡子大好物な妹が幼い頃、ぼたもちを食べている私を見つけて露骨にがっかり顔をしたのは、はっきりと覚えている。(一人あたりの取り分が減ってしまいますからね。)
苦手だったのは紛れもない事実のようだ。
この諺の起源は、「棚の下で昼寝をしていたらぼたもちが何かの拍子に落ちてきて、開いた口の中に偶然入った。」昔話から来ているらしい。砂糖が高価なものであった時代に、幸運の象徴として’ぼたもち’が諺に取り入れられるようになった。スーパー等でいつでも手に入れられる調味料の一つが、かつては得難い高級品だったこと。普段は忘れているのだが、こうした学び直しの瞬間に思い出す。大人であっても忘れずにいたい感覚だ。
他にぼたもちを使った諺では、
「開いた口へぼたもち」
「ぼたもちで腰打つ」
「ぼたもちは米、辛抱は金」その他諸々……。
運勢や生き方に関するものが多い。
「棚からぼたもち」の情景描写を、今は身に染みて理解できる。
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