『帰りゃんせ』
- ユウキ サクタ
- 2023年6月20日
- 読了時間: 2分
夕暮れの情景を描いた歌はこれまで音楽分野を問わず耳にしてきたが、取り分け不可思議な印象を残しているものが童謡の「あの町この町」。
意外にも歴史は新しく、大正13年(西暦1924年)に野口雨情の作詞・中山晋平の作曲で発表された日本の代表的な童謡・唱歌として位置づけられている。乳飲み児時代の物心つく前から居間や車の中でなんとなく聴いて、やがて自我が芽生え言葉の意味を理解するようになった幼児期にも習慣のように聴いているときに、はてなマークが頭に浮かんだ。
『いまきたみちをかえるのに、なんでおうちがとおくなるの?』
この歌は三分程にも満たない短いものだが、二番の歌詞に以下のようなくだりがある。
『おうちがだんだん 遠くなる
遠くなる
今きたこの道 帰りゃんせ
帰りゃんせ』
‘りゃんせ’とは江戸時代に使われていた「~してください。」の意味。‘帰りゃんせ’は「帰りなさい」となる。真っ青な昼間から真っ暗な夜へ移り変わるほんの僅かな時間、赤や黄色や橙色と暖色系に染まり地面も水面も建物も、そして動植物全てがその色彩の影響を受けて本来とは異なる印象を纏う。夕暮れの風情ある光景を詳細に語っているわけでも比喩や隠喩を巧みに組み合わせているわけでもないのだが、夕暮れ時の歌として真っ先に思い浮かぶのがこの歌だ。同時にこの時刻独特の郷愁と感傷的な気分を抱き、うっすらと涙をも誘う。晴天だろうが就寝前だろうが、曲の前奏が聴こえた瞬間に心象風景は朱色に染まった西の空模様を映し出す。‘これが最期に見られる景色かもしれない’といった恒久の別れを誘うような曲調と、最小限の言葉で聴き手に想像の余地を残した詩が幼心にも響いていた。乳幼児が眠いにも関わらず泣いてぐずってなかなか寝ないというよくある光景は、‘眠ったら終わり’という大人では理解できない恐怖から逃れようとしているのかもしれない。彼らにとって生きる時間は‘今’しかないから。
この歌で「帰りなさい」と囁いているのは誰なのだろうか?
作詞家の野口雨情は大正・昭和時代に活躍した童謡界三大詩人の一人。代表作として『七つの子』、『赤い靴』、『シャボン玉』、『兎のダンス』などがある。明るい曲調でも詩の解釈によって、悲しみ・恐怖・憎悪など負の感情を纏う歌作品としても評されている。

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