‘大丈夫’は、どんな状況を踏まえた言葉だろうか。
相手から「大丈夫?」と尋ねられた時、鸚鵡返しのように「大丈夫」と答える事が多い。それでも何がどう‘大丈夫’なのか、ちゃんと分かって発しているだろうか。
丸一日、よく耳をすましてみた。すると周りの至る所で「だいじょうぶ」の五音が散らばっていて、自分自身の発言はもちろん、アトリエの馴染み深い人々から道端ですれ違う人、スーパー、公園、大人、子ども。いろんな人の口から飛び出していた。
‘丈夫’が、病気になりにくく元気な様、壮健な事を表す。それが大きい、つまり果てしなく存在しているのだから、めでたい言葉として日本語では定着しているはず。
ただ過剰なほど聞こえてくるこの言葉に、妙な呪縛効果を感じてしまう。実際の状況がどうあれ、この五つの音の響きを相手に伝えなくてはいけない、そして自己暗示でだいじょうぶと思わなくてはいけない。強力な拘束力を持った言葉、言霊。
濁音と拗音の入り混じった複雑な音で構成され、最後は破裂音で締められる。唇も舌も忙しく動かさないと発せられないのに、何故これほど人々は会話で多用しているのか。自分の状況を「大丈夫」と伝えたは良いものの後々息苦しくなり、やっぱり「大丈夫」と言わなければ良かったと後悔する。そんな経験を何度も繰り返している。
この言葉に囚われ始めるのは、自我が芽生えた幼少期。手取り足取り、されるがままだった状態から脱しようともがいて、口から飛び出した意思表示として出会った。以来、人間はこの言葉とともに成長し、失敗し、成功を収め、老いていく。考えるより先に言葉が出るのは決して悪いことではない。ただ言葉に自分の時間を支配されはしないかと、一抹の不安がよぎるのだ。心から自信を持って‘だいじょうぶ’を、何のわだかまりも抱くこと無く自分の意志で言えるようになりたい。
一見前向きな言葉の裏側に、人知を超えた謎めいたエネルギーがある気がしてならない。
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