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執筆者の写真ユウキ サクタ

『作る手』

初めてライブハウスに足を運んで、ライブ音楽の生演奏を目の当たりにした。弦楽器を爪弾く器用な指先は、どの演奏者も個性的で、軽やかに、時には大胆な動きで楽器と舞台空間を振動させ、様々な音色を紡ぎ出していた。

手は口ほどにモノを言う……。今回見た3組の演奏家さんはアコースティックギターやエレキギター、マンドリン…全て弦楽器だった。始まりは似た様な演奏姿勢でありながら、弾き手によって、曲のリズムやバージョンによって、クライマックスには自由すぎるほどのパフォーマンスを爆発させていた。

個人的に舞台上の照明演出も趣があって、面白かった。ライブスタッフが即興で曲の世界観に合わせて操作しているらしい。レンブラントの闇に浮かび上がる肖像画のような、印象派の光の変化を追いかけてるような、無数の絵画が目の前に展開されていく感覚を味わった。

美術と音楽、絵を描くことと楽器を奏でることは、対照的に語られることもある。(去年の畳ゼミでは同期が『音楽と美術』でエッセイを書いていた。)

どちらも「芸術」という抽象的で分かりづらいものを、なんとか形にしようと試行錯誤する行為。この時の手は一つの宇宙になっているかのよう。

人の歴史が始まってから今日に至るまで、美術史や音楽史が途切れなかった理由が此処にある気がする。

芸術は無くても生きてゆける、と極端な意見を耳にすることもある。

掌には無数の皺が過去の軌跡として刻まれている。これを見てもそう言えるのだろうか?この演奏空間に溶け込んでも言い切れる?夢中で描きあげていく絵を見ても断言できる?

何かを作る手。芸術に限らず日常生活の中でも、掌いっぱいに掴んだマチエールから人はいろんなモノを生み出していた。

この手を大切にしよう。

演奏後、拍手で感嘆の意思表示を送った。




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