世間話や何気ない日常の会話の中で、誰かの過去のお話が流れることがある。お互いの人生での出来事を話したり、その場にいない人の人生がどんなものだったのか井戸端会議よろしく議論したりなど……。
改めて振り返ると、寸分違わす同じ人生を歩んでいる‘他人’はいない。100人とお話したとして100通りの人生があった。そして目の前の人物像から想像もできない過去を知ったり、言われてみれば「ああ、なるほど。」と腑に落ちたりする瞬間も珍しくない。
お話を聞いている時、映像が再生される。その人生を歩んできた主人公がちゃんと若返っていて(過去だから)、ひとりでに歩き出す。
幼少期から青年期を経て大人になり老年まで——。特に祖父母の話題になると資料が豊富すぎて映像の尺が長くなる。
喜劇も悲劇もヒューマンドラマも平凡な日常の話も何もかもが、上質な映像で細部まで映し出される。当然聞くに耐えない辛いお話も出てくる。それでも休み無く映像は流れ続ける。
暗転した映画館の特等席でたった一人、特大画面で映画鑑賞をしているよう。
あくまでお話を「聞いて」いるのだが、感覚的には「見ている」状態だ。その話の世界、時間軸、場所、匂い、音、温度などに主人公と一緒に包まれその瞬間に立ち会っている。自分が幽霊になったかのように目の前の事象に触れることができない。もどかしくて手足をばたつかせたところで、はっと現実に戻ってくる。
絵本や昔話の読み聞かせと違うところは、語る側の「実体験」や身近に「体験者」がいることで、紡がれる言葉に自然と説得力やリアリティが上乗せされる点。
語りの映像化は、物心ついた時から当たり前のように再生されている感覚。たった一言のお話からも色々想像し、主人公と幽霊の私を取り囲む世界が物語に相応しく着彩されていく。この映像化に不思議な思いを抱きつつも面白くて、ついついお話をせがむ事が多かった。ただ内容によっては長編映画一本分見るほどの知覚を費やす。聞き終わった後にぐったりと気怠さが広がってしまう。
それでも続きが気になるのは、懲りない性分なのです……。
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