近所の地域密着型スーパーマーケットには、老若男女様々な買い物客が出入りしている。大人数での買い物を控えるよう促すポップや看板を見かけるようになって、早一年が経過した。
その効果もあってか一人で買い物をする小学生を見かけることが多くなった。玩具付きの駄菓子をお小遣いから計算して選んだり、おつかいで頼まれたであろう調味料や持ち運びできる小さな食材を探し歩く姿は、今のご時世を生きる頼もしさを感じる。
ある日、自転車でスーパーの前を通りかかったとき、駐車場から半袖半ズボン姿の小学校低学年くらいの少年が、両手で大事そうに何かを抱えながら横断歩道を渡っていた。なんとなく目で追って渡り終えるのを見届けた。彼が持っていたのは、どこのスーパーでも売られている2個入りのチーズケーキだった。
誰かと一緒に食べるのかな?家族に頼まれたのかな?自分のお小遣いで買ったのかな?一人で2個完食に挑戦するのかな?それとも友達とささやかなパーティーでもするのかな?
様々な空想(という名の妄想)を勝手に繰り広げた。何はともあれ、一瞬すれ違っただけのその少年は、小学生特有のわくわくに満ちた表情をしていた。マスクで顔の大部分が隠れていても、嬉しそうな気持ちが溢れていた。‘目は口ほどに物を言う’を見事に体現している。
幸せを分け合う。ケーキが持つ本質の一つを久しぶりに思い出した。
此処では少し歩けば至る所で、ケーキを含め多くの‘食’に出会う。ならばその‘食’に対する感謝や有り難みの気持ちを、今どれだけ持っていただろう。
確かにあのチーズケーキは、工場で大量生産されあらゆる場所でお手軽に買えるもの。だけどもケーキであることに変わりは無い。幸せを振りまく要素を持った素敵な‘食’だ。あの子はあの時、確かに‘食’の本質を理解していたに違いない。
ただいま自宅の卓袱台に、あのチーズケーキがちょこんと佇んでいる。
自分が小学生だった頃、同じく大切に抱えて運んだケーキだった。
しっとりとした質感とシュッと尖った焼き色にクリーム色の生地は、今より幼く、今より素直だった私を掘り起こしてくれる。
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