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執筆者の写真ユウキ サクタ

『オールオーバー』

最近は地面にお絵描きをする子どもをあまり見かけない。土のある場所が少なくなっている事はもちろん、清潔感を保つ意識の向上や、外遊びの内容の変化など複合要素が積み重なり、いつのまにか地面はキャンバスの役目を担わなくなっている。

振り返ってみると私達の世代が小さな子どもだった頃も、いろいろな石や砂が混ざり合っている土より、硬く灰色なコンクリートの地面を目にする機会が多かったと思う。それでも公園に行けば、木の枝や靴の踵・つま先を使って大きな楕円、四角形を描いてケンケンぱやドッジボールエリアを作ったり、巨大なのっぺらぼうに落ち葉や枯れ枝で顔を作ったりした。道路のコンクリートにも、チョークをもらって自由気ままに落書きしていた気がする。今では炎天下の気象環境や交通ルールの面から見ても考えられないだろうな。


「じめん」と「そら」。先に覚えた単語は確か「そら」だった。でも子ども目線では地面のほうがずっと近くにあった。ちょっとしゃがむと、果てしなく広がる大画面にでこぼこと草花や建物が生え、へこみには溜まった水、それらの断面図を眺めるのが好きだった。砂遊びを覚え砂山や泥団子作り、おもちゃの篩でサラ砂と小石を分けたりするようになった。やがて小枝を鉛筆代わりに地面でお絵描きをするようになるまで、そんなに時間はかからなかった。枝だけでは物足りず、手のひらでザザーっと濃いめの土を曝け出したり(保育園のグラウンドの土は、表面の土をちょっと避けると湿った土が出現していた)、足もフル活用して描き、靴の踵やつま先に大きな穴を開けてしまった事は何度もある。

室内で紙に絵を描くのとは、また違った楽しさがあった。自分よりもスケールの大きなものに接する。手足を縦横無尽に動かし新しいものを作る・描く身体行為は、スポーツと異なる神経を使っていた。


VRやAR、「仮想現実」という’此処’ではない全く新しい世界が広がりつつある現在では、大人も子どもも、生きる場所として沢山の選択肢を持っている。時代が変われば遊び場や世間の常識も変わっていく。少し寂しく感じるのは個人的なエゴなのだけど……。

たまには童心に戻って地面に落書きをしてみたいなあと、アトリエ前の道路から溢れかえる車の走行音を耳にしながら、このエッセイを書いている。




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