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執筆者の写真ユウキ サクタ

『ウルム探検』

伊集院静さんのエッセイ「旅行鞄にはなびら」を図書館で見つけて手に取ってみた。伊集院さんほどではないが、私も旅を何度か満喫してきて、その場でしか味わえない臨場感や風景の香り、其処で暮らす人々の目線や顔触れについてのお話がものすごく共感できる一冊だった。ちなみにヨーロッパの美術館やミロのアトリエを見学した事、古書店での貴重な画集の発見など、アートが大好きな人には有難い知識やわくわくするエピソードも満載で美術紀行文としても魅力的である。

この本を読み終えてからまっ先に思い出した過去の旅先は、4年前に短期交換留学した際に行ったドイツの都市ウルムだ。ドイツの南西部バーテン=ヴュルテンベルク州に位置し、世界一の高さを誇るウルム大聖堂やドナウ川が有名。アインシュタインの生まれ故郷だというのは旅の計画を立てるまで知らなかった。

ドイツ北部の都市ブレーメンに、名古屋芸術大学が姉妹校提携しているブレーメン芸術大学(Hochschule für Künste)がある。

(ちなみに京都市立芸術大学の音楽学部がHochschule für Künsteの音楽コースと姉妹校提携している。)

当時ドイツ表現主義の作家キルヒナーやマルク、カンディンスキー、定義は曖昧だがノルディやココシュカなどに傾倒していて、ドイツという国に興味津々だった。さまざまなプロセスを経て、英語も曖昧・ドイツ語も赤子レベルでありながら人生初の海外へ旅立つことができた。

留学期間中、大学のFigurative paintingクラスでお世話になった先生が、ウルムのアートギャラリーで個展を開催していた。

「ブレーメンからは遠いけど……良かったら見に来て!」

先生は生粋のヨーロピアンだが、どこか日本人的情緒を感じさせる作家だった。

ミュンヘン旅行にウルム探検を追加し、高速バスに揺られながらウルムを目指した。

真っ先に向かったのはウルム大聖堂。螺旋階段を登って途中の休憩所から外を眺めた。真っ青な空と薄雲は、果てしなく続く奥行きを醸し出していてどちらが下地色か分からない。天使がいるとしてよく目を回さないよなあ……と、変なところで感心してしまう。階下からパワフルな子どもたちのはしゃぎ声と駆け上がる足音が聞こえてきた。ゴシック時代のバシリカ式大聖堂は狭く急勾配な螺旋階段しかない。大人ならげんなりしてしまう造りでも、彼らには珍しい遊び場のように感じるのだろうか。唐突な愛らしい天使たちの登場にほっこりとした。私が見学したときはちょうど改修工事真っ只中で、最上階の展望台までは登ることができなかった。

「展望台はもっと絶景なんだろうな。」更なる天空に続いているはずの階段(立ち入り禁止看板で塞がれていた。)を名残惜しく見つめて、ウルム大聖堂を後にした。

ウルムの城壁は遊歩道になっていた。夕暮れに染まるドナウ川を眺めながらの散歩はセンチメンタルな気分を加速させた。いや、正確には15時のおやつどきの頃だった。ドイツは日本よりも緯度が高く、冬至の時期は16時に真っ暗になった。ノルウェーなど北欧の極夜ほどではないにせよ、ウィンタータイムでiPhoneの時計が自動的に1時間戻ったり、お昼過ぎにはセピア色の黄昏模様に空が衣替えしていたりと、時間感覚が日本と悉く違うことを実感した。

ドナドナドーナドナ……。

旅の恥はかき捨てというが、ドナドナの童謡を口ずさんで地元の人にニンマリと生温かい笑顔を向けられた事を此処に書き留めておく。

ウルム探検の大トリで先生の個展にお邪魔した。残念ながら先生は在廊しておらず、ギャラリーのオーナーさんらしき女性が会場にいた。

「Hallo.」※ドイツ語ではHelloではなくHallo、断じてスペルミスではないのです。

芳名帳にサインを書いて展示作品を鑑賞する。子どもをモチーフに巨大な絵画作品や和紙で作られたランプ作品のインスタレーションなど、空間をフル活用した展示スタイルに文字通り圧倒された。絵画を自立させるとは……。大学でアトリエスペースを分ける時に立てるパーテーションと同じような理屈で、4枚の絵画を組み合わせ立方体に立てて安定させている。一面一面に男の子、女の子、黒髪、金髪、白人、黒人、アジア、ラテン系など様々な子どもたちが一人ずつ画面いっぱいに描かれていた。何よりも絵画が2mを超えている。大きな子どもたちに見下ろされる感覚は、昔話を聴いている時のうっすらとしたよく分からない恐怖と通じるものがあった。


ギャラリーを出た時には既に太陽は沈んでいて、中心街はクリスマスマーケットの人工的なイルミネーションに主役交代していた。改修中のウルム大聖堂も工事現場の足場やシートの悪目立ちなどなんのその、とばかりに鮮やかな明かりを灯していた。

マーケット内を散歩している時、滅多にかからないiPhoneに着信があった。相手はHochschule für Künsteに私費留学している日本人学生で色々お世話になった人だった。

「久しぶり〜。今HFK日本人学生飲み会でみんな集まってるけど作田さんもどう?」

「今ウルムにKati先生の展示見に行ってて……。」

「あ、もう個展始まってたんだ。よく行ったね、先生も喜ぶよ〜。ウルム観光も楽しんでね〜。」

そうとう出来上がっていたようで、陽気な声と賑やかな音が電話越しに伝わってきた。日本語をじっくり聞いたのは久しぶりだった。

一通り挨拶だけして通話を切る。何故か心の中にぽっかりとした空洞が形成されていた。

ウルム市庁舎前のマーケット風景はドイツ国内でも有数の華やかさ。ストリートミュージシャンも多く、使用楽器もギターやキーボードといったオーソドックスなものから、アコーディオン、ヴァイオリン、金管楽器など多彩。屋台にはパン屋から肉屋、ピザ屋、ビール工房やワイン酒場、お菓子ではケーキ屋、チョコレート詰め放題の店、キャンディショップなどが所狭しと並んで玩具箱のよう。見て聴いて、香りと味覚を感じて、すれ違う人々の柔らかな笑顔に触れて、ものすごく楽しいはずなのに。


20時発の高速バスでウルムからミュンヘンに向かった。夜ということもあり車内の明かりは最小限に抑えられていて、乗客が眠れるほどの薄暗さだ。

私も瞳を閉じる。——だが眠りにつく前に、堰を切ったように涙が溢れてきた。制御ができず嗚咽まで漏れてしまい、隣席の人が戸惑うほどだった。

ハンカチとティッシュで必死に顔を拭う。アンブロのリュックをぎゅっと抱き抱え、ウォークマンの音量を少し上げて気分を落ち着かせた。(隣席の人には気にしないでというジェスチャーをしたらそっとしておいてくれた。)


一人旅も何度かこなしていたが、こんな状態になったのは後にも先にもこの時だけだ。一体ウルムの旅で何が私の涙腺を刺激したのか。

振り返って今思うのは、あの寒空のウルムとは対照的な華やかな熱気と温かい人々の交流の光景の途中に、自分にとって現実的な生活言語の日本語が降りかかってきて、此処は私の居場所では無いことを思い知らされたからだろう。

簡単に言うと寂しくなったわけだ。

では語学を極めればそんな気持ちは抱かないのか?いや、完璧に払拭することは難しいと思う。其処で生まれ育ち、刷り込まれた地域の香りや音に溶け込むことは、言語を辿るだけでは再現しきれない。生粋のウルムっ子と同じように馴染むには果てしない時間がかかる。

だからこそ私は旅が好きなのだろう。旅人はどれだけ行っても旅人だ。誰かの心の故郷にお邪魔する。遠方でなくても良い。国内でも、なんなら隣町に少し外出するだけでも充分感じられる気がする。自分の居場所とは異なる音色や色彩を発する土地を愛し、生きている人々の片鱗を垣間見るのが私の旅スタイル、かもしれない。


あの旅日程からちょうど4年が経過した。もう一度ウルムの地を歩いてみたい。今度は大聖堂展望台からの景色が望めるよう下調べも入念に。




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