うさぎ、ぞう、きりん、つる。これは幼い頃から認識している動物たちだ。そして彼らには共通の特徴がある。
耳が長い、鼻が長い、首が長い、嘴が長い。みんな身体のどこかが突出して長い。保育園での日常のひとこまで、
「この影は誰かな~?」
「ぞうさん!」
と影絵当てクイズがよくあった事は、ぼんやりと記憶に残っている。シルエットだけにした時も即座に何なのか分かる、という安心感が幼心にも感じられるのかもしれない。
実家ではメダカや金魚を飼っていて、厳密に言えば動物と接していた事になるが、一緒に散歩をしたり公園で遊んだりした思い出は無い。(水槽の掃除や餌やりもほとんど父親がやっていた。)
あまり動物と触れ合う環境になかった私が、犬や猫のように街中で簡単に見られない動物たちを知ったきっかけは、絵本やぬいぐるみからだ。幼児向けの動物とお話する本、動物が主人公の物語、人と動物の交流や化かし合いが描かれた昔話。そして(今ではもう肩に乗る程度のサイズ感になっているが)、身体全体で抱きつけるほどの大きなぞうのぬいぐるみ、可愛らしい洋服を着た男の子うさぎと女の子うさぎのペアぬいぐるみ。
自我が確立する前の時間は、大人になるまでに忘れてしまう。長い人生の中で僅かなこの時間、どのように世界を認識していたのだろう?
あくまで大人側の世界で生きる’今の私’の想像だけど、きっと目で見た形をインプットしていたのかも。当然、その際は特徴的な形をしているほど記憶の深い部分に刻まれやすい。
動物の突出した身体構造は、彼らがこの地球上で生きていく上で必要不可欠なもの。
それなら、人間は生きるためにどの構造が一番発達したのかな?——この疑問を最初に思い浮かべたのは自我が確立してかなり経ってからだと思う。
京都の自宅には、幼い頃一番愛読していた絵本『ぐるんぱのようちえん』がある。先日書店で作家さんの画集を見つけ、懐かしさと新鮮な気持ちが同時に込み上げてきた。
鼻の長い動物——ぞうさん!というシンプルな定義だけで、絵本を再読することはもうできないが、大人目線での新たな発見があるかもしれない。
そんな期待を抱きつつ、久しぶりに絵本のページを開いている。
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