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  • 執筆者の写真ユウキ サクタ

『たんぽぽ』

季節とちぐはぐでありながら、この時期になると思い出す『たんぽぽ』の歌。小学校時代の合唱曲の一つだが、当時の私はリズムよりもこの曲の歌詞に惹きつけられていた。

今、珈琲を片手に虫食いだらけの記憶を辿っていく。ピアノ伴奏ではなくCD音源の前奏で、始まりの歌詞が『雪の下の、ふるさとの夜』だった気がする。ドラムやギターよりも前奏でメインのリズムを奏でていたのは笛のような音色。

『どれだけ春をまつでしょう、 数えた指を優しく開き、 ガラスの部屋のばらの花、 あらしの空を見つめ続ける、 心に咲いた花だから……』

かろうじて抽斗に残っていた歌詞を紐解いていくと、誰かの動作や心象風景が入り混じった言葉に溢れている。そして『あなた』の三音が何度も登場する。歌詞の中で動いているのは『あなた』ではなく歌い手、つまり歌っている時、曲の中の主人公は『私』になる。歌詞が歌詞ではなく私自身の願望、細かな動き、視線、思いとして、全てがリアリティに富んで生々しい温度を含んだ出来事として時間を紡いでいった。何度数えても必ず10で完結する自分の指をそっと開いて、指と掌の空間に何かが本当に存在するのを確認したり、氷のように冷たく危険を感じるガラス部屋と棘がいっぱいのばらを、現実の風景に織り交ぜたりした。

確かこの曲を歌っていたのは、昼と夜の空気の温もりに落差を感じて、厚手のデニムジャケットをファッションに取り入れるようになった時期。相変わらず周りの人を見上げることばかりの体格でありながら、少し背伸びした思考回路が芽生えた頃で、自分がどんな人なのか、どんなふうに思われたいのか、それまで自分を象っていたものを取り替えたい、もっと違う部品やパーツで飾っていきたい、でもどうしたら良いのか分からない、そんな堂々巡りのもどかしさを抱いていた。

幼い頃から馴染み深い花の一つである黄色い植物をモチーフに、誰でも知っている平凡な言葉を使いながら、組み合わせ方、並べ方、リズムへの乗せ方が他の合唱曲とは違った印象を纏っていた。

抽斗の中身はこれで全部。『たんぽぽ』が先か『私』の中の変化が先だったのか、順番すらも朧げになって、そんなことはもはや今の私に重要な思い出ではなくなっている。

珈琲はいつの間にか空っぽになっていた。


追記:エッセイを書き上げてから曲を調べ直した。記憶の歌詞の順番もばらばらで、あれほど印象深かったものを忘れていても大して痛みを抱かない心境に、時間の流れの優しい乱暴さを実感している。




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