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執筆者の写真ユウキ サクタ

『たった一言』

『またね。』

別れ際に交わすこの言葉は、「さようなら」や「バイバイ」と比べると、とても気軽にやりとりできる言葉だ。でもその一瞬から、自分の今生きている時間がどんどん遠ざかっていくにつれ、ものすごく重みを増してくる一言かもしれない。


すっかり古くなって色褪せた記憶。保育園の卒園式風景は、ところどころ虫喰いにあったように朧げになっている。20年以上経過しているが、『またね。』にくっついている印象画は此処が起源だ。

卒園証書、合唱、園長先生のお話、お花のアーチトンネルを抜けての拍手と滞りなく式が終わり、下駄箱前で靴に履き替えていた。

「もうかえるの?」

「うん、おばあちゃんがまってるから。」

「そっか!じゃあまたね!」

「またねー!」

帰り際、保育園でよく一緒に遊んでいた女の子がいつも通りの言葉をかけてきて、私も確かいつも通りの返事をしたと思う。本当に普段と変わらない、当時のルーティンの一つだった。

幼過ぎた私達には、大人から聞かされていた「4月から小学生か。あとちょっとだね。」の言葉が正確に分かっていなかった。明日も明後日も、その次も、あの子とはすぐにまた会える。何の疑いも抱いていなかった。

卒園式後、私は母方の祖父母宅で春休みを満喫し、(この時に祖母のお気に入り定番スタイル、おかっぱヘアにされた。)4月6日、晴れて小学生になった。

入学式会場の体育館は保育園のミニホールと比べて、圧倒的に規模も大きく参加人数も桁違い。ボールを真上に投げても届かないくらいの高い天井に、点々と電気が付いていて「どうやって電球くっつけたんだろう?」と、ぼーっとそれらを眺めていた。式典の中でヘルメット授与があり、たまたまクラス担任の先生が学年主任だったようで、背の順でたまたま最前列に居た私は同じようにたまたま最前列の男の子と、訳も分からず広い会場の舞台に連れて行かれ、拍手に包まれながら校長先生からヘルメットを受け取る、という大役をたまたま果たしていた。

この大役のおかげか、ふと現実に疑問を抱く余裕ができた。

「あの子がいない。」


「あの子は東京に引っ越したんだよ。前から言うてたやん。」

母から聞かされて、そういえば卒園前に何度か「こんどとうきょうにおひっこしするんだ~。」とあの子が言っていたことを思い出した。どこかへ遊びに行くような感覚であの子も話していたような気がする。あの子と特別ずっと仲良しだった訳ではない。喧嘩もしたし特に腕へ噛みつかれた強烈な思い出は、歯形までしっかり覚えている。体格差もかなりあって、幼心に恐怖を感じる瞬間も多かった。それでも呆気ないあの別れ方は大間違いだった。

’東京へ引っ越しする’ことがどういう意味なのかちゃんと理解していたら、あの時『またね。』の一言で終わらせていなかったのに……小さな後悔と一緒に今も抽斗に仕舞われている。


引き換えに『またね。』のたった三文字に、何か大切な物事を乗せているような感覚を抱くようになった。




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