「Science Fiction」をSFと省略して表現するが、単語の「SF」との出会いは、ドラえもんの原作者で知られる藤子・F・不二雄さんが提唱したSF「すこし・ふしぎ」の方が先だった。ひらがな、カタカナ、漢字と来て、ローマ字、アルファベットを学ぶようになった頃に出会った概念。
不思議な出来事を、少し、なんて量や大きさを測ることができるのか?「すこし・ふしぎ」のSFがあれば、例えば「いっぱい・ふしぎ」IFなんて言葉もあるのかな?
子どもという時間に生きてた心は、時に大人よりも物事をより深く熟考し、その柔らかい頭脳と想像をどんどん広げていた。気がする。IFの存在を信じていた心は私の中に一欠片も残っていなくて、ただそんな時代もあったなあ……という記憶だけが、笑い話としつつもの悲しい色合いを纏っている。
振り返って思うのは、子どもこそがSF「すこし・ふしぎ」に溢れていたかもしれないということだ。私のSF記憶。幼少期から人見知りで内向的な性格だったはずだが、何故か初対面の人達とその日限りの思い出を共有していたことがある。なんの集まりだったか覚えていないが、同い年くらいの児童15人程度、同伴者は確か母の職場の小学校の先生数名。この奇妙な団体で近隣県の遊園地へ遊びに行った。もちろん私から見れば全員初対面で、そもそも何故この団体に私が加わっていたのか謎のままだ。SFなのはこの日の私自身。今朝初めて出会って自己紹介したばかりの子達と、ずっと以前からの知り合いのような感覚で接していた。昨夜見たテレビ番組の話、お弁当の中身、ジェットコースターは平気か?暇つぶしのトランプは持ってるか等、些細なお喋りのキャッチボールがずっと続いていた。園内を皆で練り歩き、定番の観覧車やジェットコースターで黄色い歓声をあげ、宝探しの迷路のようなアトラクションにてお揃いのプラスチック製のマジックハンドをゲットして記念写真を撮ってもらい、お弁当のおかず交換までしていた。通い慣れた小学校の数少ない友達とですら体験していなかった事を、この時のメンバーとは惜しげもなく共有していた。そういえば、自分の小学校の話はしなかった。
「帰りたくないなあ。」
「うちも……。」(地元では私の世代の女の子達は、8歳くらいから自分の事を’うち’と呼ぶ子が多かったのです。あくまで私の主観による記憶ですが。)
1日の終わりを、あんなにも切なく迎えたのはこの日が初めてだった。
ただ、この日の私の謎めいた社交性は翌日には跡形も無く消えていて、その後彼らと交流が続くことはなかった。あの日を最初で最後に、あの子やあの子達と再会することはなかった。
今、きっと街中で彼らとすれ違っても、認識することはできないだろう。私の抽斗で彼らは「遠い過去の思い出を彩る名もなき人」になってしまっているから。我ながら薄情である。
このままもっと先の未来へ一方通行していったら、いつかのタイミングでSF「すこし・ふしぎ」からIF「いっぱい・ふしぎ」な思い出に取って代わるかもしれない。
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