アトリビュート。美術用語では伝説・歴史上の人物や神話の神々と関連づけられた持ち物を指し、その持ち主を特定する役割を果たす。持物(じぶつ)とも言う。聖母マリアなら百合、ギリシア神話のゼウスなら牛や雷などが有名だ。絵画を解釈する時、人物の周りに何があるか、何を持っているかなどを観察する過程は、推理ドラマや小説を読んでいるような感覚になる。
ところで、’アトリビュート’は何も美術作品だけに限られた物ではないと思うのです。
何かを見た時に連想する人がいる。その瞬間、「何か」はその「人」を表すアトリビュートになる。
軽トラックを見れば、ハイデンバンの作家兼運送屋さんを連想する。
太い黒縁メガネを見れば、母方の祖父を連想する。
占いを見れば、手相に詳しい知り合いの作家さんを連想する。
いろいろ思いついていくと世界はアトリビュートで溢れ返りそう。芸術家だったら作品そのものがアトリビュートになっていくのではないか?
ただ、個人的に私自身のアトリビュートは、もっと幼い頃の記憶を原点にしていると思っている。
『小さい子代表に相応しいチューリップを。』
小学校時代に所属していたバスケットボール部の先生は、水彩画が得意だった。図画工作の授業も担当していたから専門は美術だったのかもしれない。先生から卒業式のお祝いで、花の描かれた水彩画をいただいた。チームメイト一人一人送られた花の作品は違っていて、一言メッセージもそれぞれの素質や個性を見抜いた上での言葉だったことをぼんやりと覚えている。
その作品は実家に置いたままで今は手元にないのだが、作品色紙の裏側に添えられたメッセージはこんな文章だった気がする。
『小さい子に人気のお花。あなたには小さい子代表に相応しいチューリップを。』
バスケをやっていた同級生達は確かに背の高い子が多かった。それなりに身長・体格差は自覚していたが、試合中の写真を見る度びっくりするくらい、想像以上に自分が小さかった事に気付かされた。
‘小さい’ことを当時はマイナスな方向で敏感になっていたが、淡い赤色の花びらで満ちたチューリップの花束の水彩画をいただいて、大きな子達と夢中になってバスケを楽しんだ事は大切な時間だったんだなと素直に思えた。(此処でもアートのご縁があったなあと今になって思う。こじつけかもしれないが。)
寒い寒い季節の後に、花屋さんの店頭を彩る代表的な花。歴史的にはバブルの材料になったり、美術史では古くからモチーフになったり何かと忙しい系譜を刻んでいるが、幼少期に真っ先に覚えた花の名前と形もこの花だった。
私のアトリビュートは「チューリップ」です。
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