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執筆者の写真ユウキ サクタ

『'匂わせ'技法の起源』

様々なSNSが発展している今日この頃であるが、どの媒体においても必ず話題になる『匂わせ』についてちょっと考えてみた。


匂わせ:サ行五段活用動詞「匂わす」の命令形、またはサ行下一段活用動詞「匂わせる」の連用形、その連用形が名詞化したもの。明言せずにそれとなく気づいてもらえるような方法で仄めかすこと。(weblio国語辞典より抜粋)

そこから特にSNS等で間接的に自慢するような行為を示すようになったようだ。

匂わせるにしろ、されたと感じるにしろ、’匂わせ’と認識するためには、その対象に関する膨大な情報や知識が必要になる。ある意味閉じられたコミュニティーでの知識合戦だ。一見何の変哲もない画像や文章から、過去の傾向を参考に規則性や法則性を見出し独自の解釈をする。もはや評論家顔負けのスキルだと思う。なんとなく美術史のマニエリスムや、短歌などで扱われる季語、物語の比喩や隠喩を連想した。


元祖’匂わせ’は何だろう?という疑問が湧いたので、さらにいろいろ深読みしてみた。日本最古の文学作品『古事記』で既にその傾向があるように思う。

イザナキ・イザナミの話では夫婦としての社会的秩序。コノハナノサクヤビメ・イワナガヒメの話は花の美しさと儚さ・岩の地味で固く不変な様の対比。馴染み深いアマテラスやスサノヲは、それぞれ世界を照らす太陽、荒々しい海が名前に刻まれている。

※『古事記』の成立はあくまで中央集権を確立させるための政治目的の側面が強かったそう。現在の個人的なSNS発信とは規模が違うが、これが歴史的に大いに役立っていたことが、’場の空気を読んで察する’国民性をこれでもかってくらいに’匂わせ’ている。

専門家でもなく、図書館で借りた本を読んだだけの感想だが、とかく日本人は二重に三重に真意を包んで表現することが好きなんだなあと……。形を変えて連綿と今もその手法は続いている。グローバルな視点を手に入れても、長い時間をかけて育まれた奥ゆかしい(悪く言えば紛らわしい、じれったい)美的感覚は、ちっとやそっとじゃ変わらない。


この表現を’匂わせ’と嗅覚の感覚器官を使って記すという点も気になる所。目に見えない刺激と関連付けた言葉を使っている、また新たな疑問や興味を引き出しそうだ。




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